今回から連載を開始した「瀟洒(しょうしゃ)なる世界」は、
世界中の洗練された建築物の数々とその建設に携わった人々に焦点を当て、不動産を多角的に探究するコラムです。
第1弾はパリ・エトワール凱旋門をご紹介します。

今年(2024年)の夏、フランス・パリでは夏季オリンピックとパラリンピックが開催されました。
この地で最後にオリンピックが開催されたのは1924年とのことですから、ちょうど100年の時を経て、シャンゼリゼ通りは再び聖火を迎えることになりました。

観光スポットとして高い人気を誇るこの通りの名は、日本では1970年代にダニエル・ビダル氏が「オー・シャンゼリゼ」と歌ったことで知られています。この曲は度々CMソングとしても用いられており、その軽妙なメロディーラインは時代を超えて今もなお、聞いた人へフランスへの憧れを抱かせているでしょう。筆者もその一人で、初めてパリを訪れてこの通りを歩いた時は高揚感で満たされたことをよく覚えています。
さて、シャンゼリゼ通りは、パリを代表するある建築物に繋がるように敷設されています。
それが今回の主人公、「エトワール凱旋門」です。
「凱旋門」と呼ばれる建物はヨーロッパを中心に複数存在していますが、おおよそ想起するのは「エトワール凱旋門」でしょう。
このエトワール凱旋門は、フランス軍が1805年のアウステルリッツの戦いに勝利したことを記念して、1806年に時の皇帝・ナポレオンにより命じられ建設が始まったとされます。
フランスは当時第一帝政期であり、ナポレオンはまさに絶頂期の中で絶大な人気の中、権力を握っていました。
アウステルリッツの戦いは、元々フランス革命後の諸外国からの干渉を防ぐ目的で始まった「ナポレオン戦争」の一つですが、末期にはヨーロッパにおける封建体制を崩壊させるまでに至りました。
この戦いにフランス軍が勝利したことにより、かつて西ヨーロッパ諸国に大きな影響力を誇っていた神聖ローマ帝国は崩壊しました。

この勝利の直後に凱旋門の建設を命じていることから、ナポレオンの喜びようは大変なものであっただろうと想像できます。
エトワール(=étoile)とは、フランス語で星を意味します。
凱旋門がある広場はラウンドアバウトになっていて、シャンゼリゼ通りを含む12本の道路が放射状に敷設されています。その様子を上から見ると星の形になっていることからエトワール広場と名付けられました。現在ではシャルル・ド・ゴール広場と改称されています。

旧エトワール広場にて1806年に着工した凱旋門は、30年の時を経て1836年に完成しました。残念ながらナポレオンは1821年に南大西洋のイギリス領セントヘレナ島にて死去したため、その目で完成した凱旋門を見ることは叶わなかったものの、彼が残したこの建物は、これからも世界中の人々を魅惑するパリの星として輝き続けることでしょう。
