コラム 瀟洒なる世界 vol.2:エッフェル塔(全3回)

コラム 瀟洒なる世界 vol.2:エッフェル塔(全3回)

「瀟洒(しょうしゃ)なる世界」は、
世界の洗練された建築物の数々やその建設に携わった人々等に焦点を当て、不動産を多角的に探究するコラムです。
前回(第1弾)は、フランスを代表する建築物の一つ「凱旋門」を取り上げました。

第2弾となる今回は、同じくフランスにおいて凱旋門と共にシンボリックな建築物の双璧をなす「エッフェル塔」を取り上げます。

三波春夫氏が「1970年のこんにちは」と歌ってから55年の時を経て、
来年(2025年)大阪にて再び万国博覧会が開催予定です。

建築物という観点から万博を眺めてみると、元々は万博のためだけに作られたものの、現在では世界遺産を構成する建物の一つとなったという数奇な運命を辿った建築物があります。
それがエッフェル塔です。

1991年、エッフェル塔を含むパリのセーヌ川周辺は世界文化遺産に認定・登録されました。

エッフェル塔は、1889年にパリで開催された第4回万国博覧会の“目玉”となる建築物としてその建設が開始されたのですが、そもそも万博終了後20年で解体される予定でした。
ところが、ご存じのように130年以上の時を経て今もなおパリに聳えています。

現在パリのイメージといえばエッフェル塔を想起するほど、象徴的な建物の一つとして存在しているわけですが、

建設時においては、必ずしも歓迎されていたわけでもないようです。

産業革命以降の目覚ましい技術発展を背景に、先進各国による高層建築の争いは激しさを増していきました。

それまでの高層建築と言えば、大聖堂と称される宗教的な建築物における塔が主でしたし、当時このような教会や公共建築物の建設時に資材として使われるものは伝統的に砂石等が用いられることが多かったようです。また、石造りということもあり、高さとしても150m程度のものがほとんどでした。

その点において、鉄製でかつ高さが300mを超えるエッフェル塔は画期的な尖塔だったのです。

現在では、「鉄の貴婦人」との異名を持つエッフェル塔ですが、そのデザイン性について当時は賛否両論がありました。
19世紀後半においては、“奇抜”だったようです。
脚の支柱に沿って斜めに登っていくエレベーターがあるというのも、確かに珍しいですよね。

エッフェル塔に対する批判が相次ぐ中、その設計者であるギュスターヴ・エッフェルは、
そのデザイン性に加えて実用性についても熱く説いたと言います。

不運にも完成から20年ほど経過したときに、第一次世界大戦が始まります。
フランスも連合国として参戦するわけですが、実用性の面でエッフェル塔が活躍しました。
当時もっとも高かったこの鉄塔は、電波塔としての役割を担い始めます。

このような紆余曲折を経たものの、完成したエッフェル塔は1889年の万博開幕当初から人気となりました。

周囲の建物よりも圧倒的な高さを誇るエッフェル塔は、電波塔として適任であり、軍事用無線やラジオ放送の電波の送受信基地として活躍しました。

エッフェル塔がパリの世界文化遺産を構成する建築物となった要因の一つは、先人たちの巨大建造物に掛けた思いが現代でも受け継がれ、パリの人々の知恵と共に歴史の困難を乗り越えた姿にあるように思います。

翻って、来年開催の大阪万博においては、「大屋根リング」が“目玉”として建設される予定ですが、大阪・夢洲に新たに生まれるこの建築物が、後世に脈々(ミャクミャク)と
語り継がれるほどの歴史的価値を生み出すものとするためには、どう活用していくかという議論に私たちが主体的かつ創造的に関わっていく必要がありそうです。

こちらもぜひ↓
瀟洒なる世界 vol.1:エトワール凱旋門

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